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零次創作者、今なお燃焼する灰として

2025年02月22日投稿 / 1,573字

自主制(製)作映画『忘星のヴァリシア』配給に際するコメント

アニメーションが好きです。 十何年か前、まだ大人になる前の私が、最初で最後に入ったのがアニメ制作会社でした。 映画はロマンです。 唯一の社会人経験の場、そこへ飛び込もうと思ったきっかけは、ある映画のシリーズ作品でした。 劇場アニメは夢です。 いつかこんな作品を作ってみたい、どんな創作に取り組むときも劇場アニメは憧れと意識の対象でした。 でも私は『個人の創作』である小説へ戻っていきました。 「この世の創作物の中で最も大変なもののひとつが、アニメーション映画だ」 長く生きた分失う物だけが増える人生の中で、それだけは私の血肉になっていきました。 会社が動き出して3年、本が出てから2年、予感がひとつ現実になりました。 様々な責任者としてひとつ、ふたつと仕事を積み重ねる間、自分のための時間はすべて蒸発しました。 食うも寝るも読む書くもままならず、それでもアニメは最後まで嫌いになれませんでした。 1冊目の本を作ってすぐ、私は壊れました。 比良坂新監督(旧:AsH(灰))が『忘星のヴァリシア』第一章の初号を持ってきました。 すべて手に入れたようで何もかも失って腐っていた春先のことです。 思えば彼は、最初から「アニメ映画を三部作でやる。一本作って出して、二本目を作れるか世に問いたい」と言っていました。 約1年、たった一人でアニメを描いて、30分を超える作品を仕上げていました。 信念以外に取り柄のない私でさえ「信念の人間だ」と、たとえ拙さが残るとしても、その根性に畏怖の念を覚えました。 「今からでも製作で協力したい」 2023年夏、私はちょっとだけお手伝いをして、幸いにも監督は次を作れることになりました。 2冊目を作った私は、今度こそ元には戻りませんでした。 2024年も、監督は黙々と第二章を作っていました。 私は前回同様ラッシュチェックが精一杯かもしれない、事実そういう状態でした。 なのに素直に「賭けさせてくれないか」と、年明けに初号を観てすぐ何千字の返信を書きました。 「今度こそは配給ということで」 贔屓目なしにそう言いたい『劇場アニメ』でした、アニメーション映画を『個人の創作』として完成させていました。 同じ歳の自分には出来なかったことで、だからこそ燃え尽きて何も残らなかった人間にも出来ることがあると知りました。 3年前の今日、出版社の立ち上げに際して所信表明を出しました。 『一次/零次創作者として、今、何をすべきか?』という小文です。 だとすれば、今日の文章は初心の表明です。 もしもあの頃の私の前に、今の私が現れることが出来たなら――誰しも一度は考えるはずです。 「私自身が何者かになることをやめても。零次創作者を続けること、作家たる何者かの箱になることは出来る」 社会が何もかも変わって、古巣が世界的に有名になって、それを遠い喧騒のように感じて、社会が元通りになって。 「10年後のことを考えないか」やむを得ない事情で古巣を離れるとき、そう言われました。 「10年後に原作を持っていきます」と返しつつも自分自身「何か違うな」と相反する気分がありました。 自主制作から始まった出版社が、自主的に製作を担い、自ら配給を行う。 私は贅沢にもその〝最初から最後まで〟を見届けたいのだと、三年越しに、あるいは十何年かを経て夢見ています。 人生を賭けた燃焼を見せられて、今なお燃焼する灰として出来る精一杯は、作品を世に届けることでした。 それに出版社なら、自主制作上がりなら、先人に倣うならば『アニメ映画』は次に進むとき必ず通る道です。 「向こう見ず」なアマチュアと「曲がらない」プロフェッショナルが集う城。 私たちなりの新しい『オリジナル』を、そして『エンターテインメント』を、引き続き見守って下さい。

二〇二五年二月二十二日 曇りの日に、西荻窪にて

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